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調査

【6月24日(土)現場】

大原三千院民家再生事業
建物の調査風景

ある会合の後、私の車に同乗した京都大学のT先生に今回の民家再生について雑談めいた話をしたところ、

「出来れば町家専門の方に相談をされた方がよい」

と強く勧められました。
そのため、本来は会社の中だけの技術で建物を再生する予定でしたが、一度外からの意見も入れてみようということで、T先生の推す京都市景観・まちづくりセンターのTさんに相談することにしたのです。

前日が雨だったので、当日の待ち合わせは空模様が気がかりでした。日が明けてみると、幸いにも梅雨の中日の晴れ間の見える日になり、重い湿気を含んだなま暖かい空気には支配されているけれど、雨が上がったことだけでもほっと胸をなで下ろしました。久しぶりに訪れる現場は、骨組みだけに解体された建物に薄い青色のビニールシートが覆い被され、なんとも頼りなさそうな風情が印象的でした。

私は新町の六間でTさんを拾い、車で現地まで駆けつけました。そこには、すでにメンバーの方々が揃っており、早速私たちはTさんを交えて建物の現状の検討に入りました。

すでに軸組だけになった建物は新建材で補強されていて、前のような崩壊の不安はありませんでしたが、それでも古い建物をなぶったことのない現場監督は、不安げな様子で建物の内部に目を泳がせていました。私たちは、1時間ほどかけて建物の全体の状況を調査し、その中でTさんの意見も採り入れながら、この建物の再生について下記の手順で再生していくことに決めました。

この建物の足元が非常に危ういので、まず足元を固める。

さらに軸組部分で腐食している部分を補強する。

足元は、従来のように束石の上に柱を乗せるような工法でいくのか、耐震性を考えて目立たないところは布基礎を使うのか侃々諤々の議論になりましたが、最終的には、束石でも補強をきちんとすれば耐震性はあるとの判断で、元の建築方法に基づき束石でいくことになりました。

次に、敷き桁の腐食が激しいため、これは全部やりかえることになりました。本来は古材を使いたいところですが、これに合うような古材があるかどうか思案となるところです。柱も10本くらいは根本で腐食していましたが、継ぐことにより従来の柱を生かすことになりました。しかし、雨水の浸入で全体が腐食気味の柱はまったく使用に耐えず、これらはすべて抜き変えることになりました。柱を抜くという作業は大変難しい作業になりそうです。

解体前の建物の時から不安視されていたのですが、1階の南東にある桁や梁の腐食が激しく、本来はこの腐食のみで建物の修整を諦めるほどひどい状態でした。この民家を購入した時点では、こんなひどい腐食はなかったように記憶していますが、空き家のまま10年放置しておくととんでもない惨状になるという典型的な事例です。この一角は柱や梁など主立った構造材すべてを差し替えるという難工事をする必要があるのですが、これをきちんと差し替えないと再生は不可能になります。そのため、あらためて関係者一同から深いため息が漏れました。

また、この場所は立地的にもよく目立つ場所ですので、出来れば新しい材木は使いたくないと思いました。しかし、この軸組にあうような古い桁や梁がうまく手にはいるかどうか。とにかく関係者の意見は古材で補強することに意見が一致しました。

一通り1階内部を見終わって、南側外部を詳細に眺めていたTさんが、小さいながらも華やかな声を上げました。

大原三千院民家再生事業

「ここに字が書いてある!」。

そう言われて彼の指さす方を見上げると、元厠と思われる位置の管柱の外側に、朱でうっすらと文字のようなものが書き連ねてありました。Tさんは、その文字を目でなぞりながら、呟くように読み上げました。 

{ 大正三年建築する }

またその横の管柱には

{ 美子19歳の }

それ以上は読みとることが出来ませんでしたが、同じく朱文字で書かれていました。

「これは増築時の時の書き置きだな」、

誰かが言いました。

本来、この年代のこのような建物には、必ずといって良いほど、施主の名前と建築年月日を書いたものが屋根裏の大黒柱にくくりつけられたりしているのもです。建物の中心から遠く離れた元厠の管柱に朱文字で記載されるのは、きっと美子という女性のため増築した部屋であろうという風に解釈できました。

大原三千院民家再生事業
無傷の状態に近い2階
大原三千院民家再生事業

そこで、この民家が一体何年頃に建築されたのかを調べようということになり、それまで足元が不安定なため2階に上がるのをためらっていた我々ですが、意を決して2階に上がってみました。

この民家を再生しようとしてから考えてみると、今までなぜか2階に上がろうとはしなかったのですが、いざ上がってみると2階は1階と比較してほとんど無傷に近い状態でした。

「雨漏りがなかったからかな」

誰かが呟くように言いました。確かに、東南の柱の隙間から雨水が吹き殴り、床の一部は腐食していましたが、屋根からの雨漏りは全くといっていいほどなく、そのため建物は古いながらもその当時の面影を残していたのです。

私たちは、2階に上がって真ん中の部屋の天井が開いていたので、そこから天井裏を覗いてみることにしました。誰かが梯子を持ってきて、それを天井に掛けると、私はいの一番に梯子にかき付いて上がりました。初めて見る建物の天井裏は、暗い闇が支配し、何も見えない状態でした。誰かが懐中電灯を持ってきて、それで周りを照らすと、ようやく小屋裏の構造らしきものがうっすらと浮かび上がりました。懐中電灯で照らし出した闇の中には、南北に大きく延びた巨大な小屋梁の姿が見えました。

【5月17日(水)休日の現場】

大原三千院民家再生事業
大原三千院民家再生事業
レベル測定風景

私が現場に赴いたのは、その日の午後3時頃でした。

建物は、青いビニールの養生シートで被われ、建物の外観は貧相でした。シートをめくって中に入り、目を凝らして見ると、暗い湿った蒸し風呂のような室内で、大工も含め6~7人の担当者が体中バケツで水を浴びせかけられたような汗をかきながら建物の傾斜を計っています。

今回、レベル調査の責任者のような仕事をしている森田君が目ざとく私を見つけ、いつもの穏和な笑顔を浮かべながら、

「思ったより建物は傾いていませんでした。」

と報告がてらの挨拶をしてきました。彼の調査によると、柱や胴差しが完全に腐食している南西及び南東の一角は明らかに2階の床が傾斜し、落ちていたのですが、それも一角の一部だけのことで、後は微調整だけで済むということでした。

レベルの微調整は、柱の根継ぎと平行して行うことになりました。本来は、レベルの状況を図面に落として、根継ぎする部分の詳細も記載した方が良いのかもしれませんが、今回は私たちが施主ですので、出来る限り効率よくコストを落としてやりたいということで、図面の書き出しは行いませんでした。

根継ぎとレベルの微調整の工事は、9月に入ってすぐさまかかるように手配されました。大工は2人、現場監督は当初営繕の葉山君でいく予定でしたが、工事に色々複雑な問題が出てきそうなので、木造建築に手慣れている中西君が工事責任者として担当することになりました。

  • 施工実例 大原三千院民家再生
  • 施工実例 2001.1月 完成

    大原三千院民家再生

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