プロローグ
【2004年春】
- 現場正面(解体前)
- 現場裏(解体前)
- 大原の里山風景
以前より当社研修センター用地として保有していた、大原三千院にある民家が、今日までなんら活用されぬまま放置された状態になっていました。
その建物は風雪で老朽化し、改修も不可能な無惨な状態になっており、いずれは解体し、あらたな建築物を建てる以外なんの利用価値もない建物だと判断されていました。
いずれ解体し、倉庫にでもするしか用途のない土地でしたから、建物が風雪で崩壊しつつあるのを、私(金城一守)は、為すすべもなく眺めていました。それでも今日まで解体をしなかったのは、建物が大原の風情に良くあっていて、このまま潰してしまうのが心残りのような気分があったからかも知れません。10年くらい風雪になすがままの状態を眺めていて、最近本当に建物が轟音をあげて崩れ落ちそうな気配を感じていました。もうすぐ解体するべき判断をする時が来ると思いながら、今日まできたのです。
2000年というのは、当社にとって実に晴れがましい年でした。
バブルの負いの遺産がこの年にすべて消え、5~6年前からとっていた経済対策がことごとくあたり、不動産業は超成熟産業なのに先行きに確信の持てる事業が幾つかありました。
また、2001年にはゼロ・コーポレーションが20周年を迎えるということもあって、この年に合わせてなにかやりたいという気持ちがあったのです。このような気分の時、再度大原三千院の敷地の活用が浮かび上がりました。
しかし、敷地上の建物は老朽化が著しく、これを再生するなど考えてもいなかったので、基本的に現建築物を解体し、その後に何を建てるかということで議論がなされたのです。
当該物件は大原の三千院へ至る旧街道に面しており、春秋には大勢の観光客で賑わう地域でした。建物は築後120年ほどの木造二階建で、部分部分は腐食の様相が見受けられるけれど、以前は三千院に来る観光客目当てに宿を経営していて、俳人の高浜虚子も投宿したそうです。
また、日本画家の土田麦僊はこの宿で書生をしており、このような来歴のある建物であるけれど、現在は見る影もなく落剥していて、この建物を活用した用途など考えることも出来ませんでした。
しかしながら会議ではこの物件に関してどのように活用するべきか判断が付きかね、しかたなく当社担当者は現場にて再度現地の立地等を考えながら本物件の活用方法について議論することにしたのです。
木造建築の可能性 2001.1月 完成
大原三千院民家再生