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~閑話休題2~

大原三千院民家再生事業
浪速千栄子が渋谷天外と暮らした屋敷と、手前左側が今では貴重な吉野石
大原三千院民家再生事業
かつて土田麦僊が住んでいた屋敷

大原の民家は、京都の大規模な屋敷から出てきた上質な建具や天井板、銘木を取り入れ、大正時代、この建物が新築されたときより豪華な建材で仕上がっていた。1階の二間続きの天井に張られた豪勢な杉板も釈迦谷の屋敷から外してきた代物である。この家には、浪速千栄子が渋谷天外と暮らしていたという。

この屋敷の一角に青みをおびた美しい巨大な石がごろごろしており、その石がなにか分からないまま、何かに活用することができないか考えていてそのままになっておた。やがて建物の解体と同時に石も不用と言うことで解体屋が廃材と一緒に捨てようとした。そこを現場監督が少し気を利かせて造園やに見せた。

すると、なんとこの石は吉野石という種類の石で、現在は取り寄せることも出来ないぐらい貴重な石であることがわかった。小さいもので一つ30万円もするという嘘のような価値で、現場監督はそのうち持ち運び出来そうな石を数十個、大原の現場へ運び、後は大きすぎて持ち運べないということで、粉砕して解体屋が捨ててしまった。その話を私はすべてが終了した後に聞いた。私は青みがかった、ふた抱えもある巨石が庭にごろんごろんと転がっている様を覚えており、もしそのような価値のあるものであればなんとしてでも大原に持ち去りたかったと思ったのだが、後の祭りだった。

このことは心の中にずっと残っており、たまたま別件で等持院の購入を担当した社員に携帯でこの話をすると、彼は浴びせかけるように、

「等持院の屋敷に住んでおられた方をご存じですか」

と問いかけた。当然知る由もないのでそのように答えると

「土田麦僊(ばくせん)のご自宅らしいのです」

と言った。土田麦僊は、大原の民家が旅館であった頃、書生として住みついていた画家である。これも不思議な縁だと思いながら、等持院の家に極めて稀な欅(ケヤキ)の一枚板が使っていた理由がわかったような気がした。

私は京都の町で建売を生業として暮らしている。用地は郊外ではなく、ほとんどの場合市街地の宅地か、規模の大きな屋敷を潰して何件か家を建てる。最近、売買された市街地の大きな屋敷は、ほとんどが建売かマンションになっている。これは京都だけではなくどこの街でもそうだった。

前に、鎌倉に居住していた小林秀雄の家を尋ねたときも4件の建売になっていた。確かこのあたりかと思いながら、建売の家から出てきた持ち主らしき人に尋ねると申し訳なさそうに「そうだ」と答えた。
こんな著名な作家であるのに、鎌倉市もなんとかしてくれればよいのにと思ったのだが、いざ自分の立場になると話が逆転する。

1年程前、哲学の道の若王寺町にある京都美術大学の初代学長が住んでいた屋敷を建て売り用に購入した。いざ解体しようとしたら市民団体の人が出てきて、この家を保存するように懇願された。いくら著名な画家の家でも、その度に保存するのはたまったものではないので、丁寧に断ると、買い主を捜すので暫く待ってくれという。仕方なく待っていると、ある美術系大学の理事長が購入を検討しても良いという。それならばということで理事会の承認を待ったが、理事会では購入を敢えなく拒否されてしまった。私は市民団体が恐ろしくて、特に保存を要望されていた倉を残した企画で4件の家を建てた。それ以降市民団体からの連絡はない。

この屋敷以外、哲学者の家や著名な芸術家の家を解体することを何度もしてきたが、ほとんどの建物は崩壊寸前のものであった。しかし、その時建材を見る目があれば記念に残すものを取り外すことが出来たのかも知れない。

今回のように部分的な良い建材を民家の再生に使い回すことができれば少しは贖罪になったのかもしれない。スクラップアンドビルドを業とするものにとり、民家の再生は精神衛生上極めて良好な業といえるのかもしれない。

  • 施工実例 大原三千院民家再生
  • 施工実例 2001.1月 完成

    大原三千院民家再生

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