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~閑話休題1~

大原三千院民家再生事業
使命を終えたかのように老朽化した等持院の物件
大原三千院民家再生事業
2001.5.29当時の大原の現場
大原三千院民家再生事業
工事の進む大原の現場

洛星高校の西側の道路に面して300坪ほどの敷地があり、その上に古い二棟の屋敷が建っていた。一つは道路に面して建っており、もう一つは通路の奥まったところにひっそりと佇んでいて、すでに二棟とも居住の使命を終えたかのような老朽化した建物だった。

一見したところなんの由来もない屋敷のようで、道路に面した家には最近まで大学の先生が借家として居住しており、この屋敷の相続を受けた人が、当社に売るために大学の先生に家の明け渡しを交渉しているという話を聞いていた。

この先生が家を明け渡すのを嫌がっていて、それで売買の契約が長引いて売り主が難儀しているという話を聞いた。それぐらいの記憶でこの家には何の印象も残らなかった。 

やがて借家人の件も解決が付き、無事売買の契約も終わり、建物の解体をするのに、事前に大原の民家を改修している現場監督が下調べに行って、そこで幅1m、長さ4mの欅の地板を発見した。これは道路に面した家の、床の間の地板として使われていたらしい。地板の上にこれも1m×1mほどの、厚手の欅の違い棚があり、この紋様が見事であった。

この地板を大原の民家の玄関敷き台にするつもりで、大工を二人連れ取り外して改修中の民家の中に置いていた。それを私が見つけた。現場監督に敷き台にする地板と聞かされ、これをそのままの大きさで敷き台として使うならともかく、3mに切ってから使うというのはもったいないと思った。私は切ることを躊躇して、別の敷き台を探そうということになった。長さ4mの欅の一枚板など今はどこの銘木屋を探してもない。そうこうするうちに監督が等持院の、今度は奥の家から、幅60センチ、長さ3mの、松の木の地板を探し出してきた。これが奥の家の玄関に敷き台として使われていたのである。外見は古びた家であったが、部分部分に良い建材が使われており、少し驚きをもって古い屋敷のことを考えてみた。

欅の見事な一枚板を使う元の居住者がどんな人か、どのような生活をしていたのか、見てみたいと思い時間を割いて現地にまで行った。

現場はすでに前の道路に面した家がすべて解体されており、奥の家も正面の壁が解体されて中が丸裸になっていた。少し貧相な光景だった。その日は日曜日だったので、工事は止まっており、私は道路と敷地を閉鎖するシートの金具をほどくと、解体されてバラバラになった瓦礫を踏みながら中に入った。解体中の建物はなぜか火事場のような匂いがする。埃の匂いが共通するのか、古い壁や木々が焼けた匂いがするのである。

私は家の奥に入りながら、敷き台の抜き取られた跡である玄関の上がり框のあたりを確認した。こんな立派な敷き台を使っている家だからさぞや建具類も立派なものをと思って中に入ったのだが、案に反して建物全体は安普請だった。

まだ解体されていない建物の、いずれの部分を見渡しても、これぞという、目を引くような建材は見あたらない。部屋中に散乱する放置された家具類にも意匠の高いものはない。私は少し落胆する思いでその場を離れた。

  • 施工実例 大原三千院民家再生
  • 施工実例 2001.1月 完成

    大原三千院民家再生

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