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「小倉山・嵯峨二尊院 華り宮」オープニングイベント 暮らし×京都の技×美意識

嵯峨二尊院に生まれた新しいまち。
歴史や物語が蓄積されたこのまちは、感性を磨き、自らの生き方を構想する“庭”と位置づけることができるのではないでしょうか。
住まいの役割や暮らし方が立地によって変わってきている今、「京都に暮らすということ」を考え、どう実現するかについて話し合いました。

快適暮しのコンシェルジュ

小倉山・嵯峨二尊院プロジェクト 委員会 代表 立命館大学教授 リム・ボン 氏

小倉山・嵯峨二尊院プロジェクト
委員会 代表
立命館大学教授

リム・ボン 氏

仕事柄旅に出ることが多い。長期の旅もあれば短期の旅もある。いずれにせよ、旅を快適で実り豊かなものにするには、明確なヴィジョンとそれを実現させるための緻密な計画を事前につくっておくことが必要だ。それでも、ホテルで荷解きを済ませ、いざ行動に移る段になって、情報が不足していることに気づかされたり、優先順位が定まらなかったりすることがある。予期せぬトラブルに巻き込まれ、ストレスが極限に達することもある。そんな時、頼りになるのがコンシェルジュという存在だ。たいていの問題を解決してくれる。とりわけ、一流と称されるコンシェルジュは “どのような要望にもNoとは言わない”をモットーにしているという。覚悟が凄い。
 彼ら・彼女らの助けを借りれば、旅のクオリティが当初の予想よりも数段アップする。なぜ、そのような芸当が可能なのか。一流と称されるコンシェルジュは努力を怠らない。幅広く情報を収集し、宿泊客のあらゆる要望を分析し、予測している。したがって、要望のほとんどが想定内のことなのだ。仮に想定外の要望に出くわしたとしても適切に対応できるよう常日頃から別のチャンネルを用意している。業界の枠を超えた独自のネットワークだ。地域の歴史や文化にも精通している。その知識たるや学者顔負けだ。パリッとした制服を身にまとい、宿泊客の要望に優雅に答える姿は実にカッコイイ。
 人生も旅に例えられることが多い。最長の旅だ。これを快適で実りあるものにするには、明確なヴィジョンとそれを実現させるための緻密な計画が必要だ。人生設計というやつか。成人して自立した暮らしができるようになると、ある段階で終の棲家を持ちたくなる。人生で最も高価な買い物にチャレンジするのだ。ところが、資金の目処が立ち、いざ購入という段になっても、自身や家族のライフスタイルに適った住宅のイメージが定まらず、不安を抱いたりする。そんな時、どんな要望にも適切に対応してくれるコンシェルジュが必要なのだ。コンシェルジュとは、フランス語であり、もともとはアパルトマンと呼ばれる集合住宅の管理人を意味する言葉だった。今日ではこれを個人ではなくハウスメーカーが担わなければならない。相当な組織力と覚悟とが求められるからだ。最近、その兆しが見えだした。
 “華り宮”。嵯峨二尊院に隣接し小倉山を借景とする不思議な空間である。このプロジェクトは、集合住宅でありながら、戸建て住宅風でもあるのだが、ここでのコミュニティ・ディベロップメントはゲニウス・ロキ(地霊もしくは土地柄)への理解なくしては成り立たない。ハウスメーカーからの挑発的な問題提起だ。この物件を購入するのは終の棲家としてなのか、あるいは別荘としてなのか。いずれにせよ、住み手たちは京都での暮らしに一家言ある人々であろう。彼らの要望は複雑怪奇かも知れない。だが、それも想定内のことか。快適暮しのコンシェルジュ。腕試しが始まった。

京都文化の担い手、研究者や識者によるリレートーク

日時/6月30日(日)14時〜18時
監修/谷口正和 氏(京都観光文化事業創造塾 塾長 ジャパンライフデザインシステム社長)

第一ステージ「発想の解放区・小倉山麓で暮らすということ」

京都学園大学人間文化学部長 観世流能楽師 山崎芙紗子 氏

山崎芙紗子 氏

京都学園大学人間文化学部長
観世流能楽師

 嵯峨野の地には、平安京を拓いた桓武天皇の子たちの別荘がたくさんありました。その子たちの中でも嵯峨天皇は名前に嵯峨がつくほど、嵯峨に縁があります。
 嵯峨天皇は上皇になってから嵯峨の山荘を大きく造り直し、大きな池を造りました。これが現在の大沢の池で、その隣の御殿が今の大覚寺で、この地で世俗を離れて静かに暮すことを、求めていました。また、現在の二尊院の所にやってきて、美しい景色に感動しその地に二尊院を建立しました。
 この地を詠んだものに、小倉百人一首の「小倉山峰のもみぢ葉 心あらば今ひとたびの みゆき待たなむ」。また、新古今和歌集では西行法師が詠んだ「我が物と 秋の梢を 思ふかな 小倉の里に 家居せしより」。紅葉について自慢したくなっている心境は、今の私たちとも近く感じられます。
 源氏物語にも平安時代の嵯峨野には沢山の別荘があったと記されています。嵯峨野の野々宮で伊勢に下る斎宮が身を清めるための場所です。斎宮の母であり、光源氏と恋仲にあった六条御息所がここにいた折、光源氏が訪ねてくる場面は、源氏物語の中でもクライマックスの、恋の終局の有名な場面ですが、「賢木(さかき)」の巻に描かれています。最近では、瀬戸内寂聴さんがここより少し奥に住んで日本中に発信しておられます。昔も現代も、この嵯峨野の地は変わりません。

永楽屋  十四代細辻伊兵衛 細辻伊兵衛 氏

細辻伊兵衛 氏

永楽屋 十四代細辻伊兵衛

 永楽屋は戦国時代に創業しており、織田信長公の御用商人でした。永楽屋という名前も信長公に付けていただきました。昔は、木綿よりも麻の方が流通しており、麻や木綿を扱うところを「太物商」と呼んでいました。100年ほど前はうちも太物商でした。戦後は欧米文化が浸透し、私が養子に入った頃はタオル問屋として百貨店などに卸していました。しかし業績が悪く苦労しました。
 私どもは繊維にデザインを落とし込み、それを通じて人に感動を与え、幸せを感じてもらえることを大事にしています。今の時代にあっていないかもしれませんし、効率よく利益が上がる訳でもありませんが、幸せを与えることができれば、商売は続くと考えています。
 こうした郊外の歴史ある美しい場所においても、人が感銘を受けて、結果として京都のためになるようなことが展開できれば面白い、と思います。先人が残してきたことの凄さを痛感していますし。今は平和な時代ではありますが、先人に学び、この場所、この時だからこそやるべきこと、やれることはたくさんあると思います。

染色家 そめこうげい攸代表 玉村咏 氏

玉村咏 氏

染色家 そめこうげい攸代表

 確か30歳代から40歳代の頃でしたが、私はジャコメッティの「顔」という小説を読み、「顔は心の衣装だ」という一文に衝撃を受けました。若い頃は着物は自分の作品だと思っていました。しかし、その「顔」を読んで、そうではなく、主人公は女性であり、長い間かけて蓄積されてきた顔にほんの少し着物を着てもらうことで裸では表現できないその人らしさを表すことができるのではないか、と思ったのです。
 その時から、私は着物は3割ほど引いた状態でつくり、その人が着ることで、その人らしさが表現できるようにする着物づくりを中心に考えるようにしました。染色は郷里の福井に帰ってもできるのですが、京都を離れられなくなったのです。平安時代から同じような仕事に携わってきた人が、様々な苦労をして、この地で死んでいった人が京都には山ほどいるのです。そしてその人がいるおかげで、手を抜かずに頑張れる、襟を正してやれるのです。
 そして、100年後、200年後に「この時代にはこういうものをつくっていた」と、必ず掘り起こしてくれると信じています。そのようなことを信じていかないといけない、と気づかされたのです。

岡林院住職 寺前浄因 氏

寺前浄因 氏

岡林院住職

 京都の産業構造から言いますと、永楽屋さんのように家は継ぐが、人は変わっている、というのが少なからずあるようで、それが京都の力です。そういう感覚で言いますと、坊さんも出家して、常に動いて新しい刺激を受けて、古いものに新しいものをぶつけて消化しながら人に伝える、というのが本来の私たちの仕事であったように思います。
 同じ所で同じように住んでいると、考えは硬直します。そうすると新しい発見がなかなかできません。新しいものに刺激を受け、それを受け入れることが大事で、そのためにもこれまでの生活とは違う価値観や、ネットワークを持つ人と共有していくことも大事になってくると思うのです。
 それは、別荘を持つということでもあると思うのです。
 そういう場所は、人がたくさんいすぎる都市部ではなく、周辺のゆっくりした場所の方ができやすいのです。旅人となり今の縛りから解放されるのが大事で、それに気づいたときに真の解放があります。それを得るには修行と同じで、あちこち出かけて、試行錯誤しながら暮らしていくことが大事だと思います。

第二 ステージ「人々との共生(ともいき)による暮らし」

錫師七代 山中源兵衛 山中源兵衛 氏 ART COMPLEX プロデューサー 小原啓渡 氏 写真家 荻野NAO之 氏

荻野 私は父の仕事の都合で、メキシコに合計10年間暮らしていました。メキシコで暮らす日本人は、高級住宅街のコンドミニアムに暮らす人が少なからずいますが、ちょうどこの「華り宮」のような塀で囲まれたような感じの住宅地です。一方、貧しいメキシコ人の暮らす地域は、色々なものがごちゃ混ぜになっています。ここはここで、貧しくても豊かな共生空間でした。私はそういったところに惹かれて撮影をしていました。

小原 共生(ともいき)のためには、井戸端などのような場所が必要だと思うのです。人は生きるために水が必要で、文明も水の周りで形成されました。今の日本では、身体を潤す水はもちろんですが、精神や心の潤いを得るための何かが求められていて、それが自然に近い住環境であったり、その中にあるアート感覚だったりするのだと思います。アートというと難しく聞こえるかもしれませんが、要は、創意工夫のある生活が大切だと考えています。

山中 私が小さい頃はおばが家の家政婦をしていました。当時の商家ではそういったことは普通でしたし、娘が嫁入り修行として住み込むこともありました。そういった、いわば「ワイガヤ」な素敵な共生システムがかつてあったように思います。

荻野 14年前から宮川町の一つの置屋さんに入れてもらって、ずっと舞妓さんや芸妓さんの暮らしをドキュメンタリーで撮影しています。写真展を開催した際、これを見た写真家から「窓の文化で生きた人間だな、お前は」と指摘されました。最初、何のことかよくわからなかったのですが、しかし考えてみると、日本では障子や襖が家の中にあり、障子を通して家の中に入った光が、襖の中でも僅かに乱反射し、畳に反射して、最後床の間に届きます。一方メキシコでは窓があり、そこから光がガーンと入ってきて、その光の中で暮らしていました。暮らした環境によって光の据え方などが、無意識のうちに違っているのでしょう。

小原 社会の中にはいろんな段階がありますが、少なくとも日本は成熟社会を迎えており、その中で豊かさとは何かということを考えていくことが必要です。日本はとても経済的には豊かです。しかし精神的な枯渇感、充足されていない感がますます増えてきているように思います。これは日本の中での大きな課題であり、その中で共生(ともいき)というのも重要な課題です。

荻野 メキシコの田舎はパーティーがとにかく多い。父親が7人兄弟、母親が10人兄弟などもあり、いとこを数えると3ケタ、という所もあります。誕生会を親兄弟や親戚が順番に開催すると、それだけでも20~40回となります。「これは外せない」という所だけ参加したとしても、土日はほとんどがパーティーに費やされます。そしてあり得ないくらい、これにお金を使うのです。「明日からどう生きるんだ?」と疑問に思うくらいですが、それが実に温かい。私もメキシコ暮らしの影響からか、「金曜サロン」というホームパーティーを、大学生時代から不定期で開催しています。

山中 京都の元学区は現在でもしっかり残っていますが、人と人の繋がりが維持できているか、というと難しいと思います。 僕自身が関わっているのは、祭です。これから祇園祭がありますが、祭を軸とした繋がりがあります。また大きな祭で無くても、小さな社で御輿がでている場合もあり、御輿を担ぐ人の繋がりもあり、よく飲んだりしています。

小原 共生は同じ場所に住むだけではなく、何かを一緒にするということ、そこにコミュニケーションが生まれます。では、何を一緒にするか。ツールやデバイスが必要ですが、京都では祭が有効ではないでしょうか。しかし祭は年に一度と頻度が少ない。そこで頻度を上げて、みんなが関われるワークショップのようなものがあれば、参加しやすいと思います。それをもしこういう場所でできるのであればいいと思います。皆が集い、一緒に作業できる。それが祭の準備に繋がり、そして地域を活性化させるための機会づくりに繋がる、というようなものをこのようなエリアで実施していけば面白いと思います。

山中 工房に併設しているギャラリーでは、展示会と併せてレセプションパーティーをすることが多いのですが、そのパーティーが面白くて仕方がありません。両親の世代にとっては「そんなことしたら、けったいな人が来て困る」と思うようですが、私にとって、その「けったいな人」が来た方が楽しいのです。刺激になりますし、そこは店の扉を開けることから始まります。この、扉を開けることにより得られる楽しみに、多くの人に気づいて欲しいと思っています。

感性を磨き構想する“庭”

京都観光文化事業創造塾 塾長 ジャパンライフデザインシステムズ 代表取締役 谷口正和 氏

京都観光文化事業創造塾 塾長
ジャパンライフデザインシステムズ
代表取締役

谷口正和 氏

 京都は、世界から預かった日本文化の拠点である。平安遷都の頃より、そこで培われてきた未来像が、今の日本の姿となって表れているのだ。まさにこれまでに京都が引き受けてきた役割を勘案すれば、日本各地の構想都市としては重要な役割を果たしてきたといえるのではないだろうか。
 日本の文化拠点である京都をより小さな単位で捉えたとき、平安貴族の別荘として百人一首にも詠まれている小倉山の山麓は、とても魅力的な土地だったに違いない。それは精神的な意味、美学的な価値、創造的な視点を内包した重要な役割を果たしていたはずだ。 洛中で日々巻き起こる諍いから解放され、心に安らぎをもたらしていた。そこで英気を養い、再び洛中に飛び込んでいく。そういう姿が想像できる。つまり、小倉山の山麓は、これまでの日本を形作っていく上での大きなインキュベーション拠点として稼動してきたのだ。
 それから月日は流れて、現在。生命力を感受する時代となり、再び京都に注目が集まっている。インキュベート拠点という役割から目を背けていてはいけない。  「発想の解放」をもって小倉山麓で住むという新しい暮らしは、“構想の庭”として機能していくことだろう。物から心へと価値観が移行し、学習によって未来を引き受けていく暮らしとなった今、より知識や知恵、精神的な部分の価値を顕在化させていく必要がある。
 そういう背景からも、土地の個性が問われている。それが、小倉山・嵯峨二尊院の「華り宮」では、未来構想の拠点として新たな価値を創出していくには、十分過ぎるほどのバックボーンがある。そこに思いを馳せて、日常における小さな変化をつむぎだしていってもらいたい。そして、これらを日々の鍛錬だと認識することができれば、京都という土地がより魅力的に見えてくることだろう。  近代化が排除してきた自然と歴史をもう一度見直すとき、千年単位でタイムスリップできるのは京都だけだ。京都の伝統文化に高い関心を持つ人が増えてきている。お金と時間を使えるような場所を提供することで、重厚な文化を持つ京都の注目はさらに増強されていくはずだ。
 自然との共生という枠組みに、文化、歴史を加味して、京都そのものを考察していく。それは平安貴族が思案する未来の可能性と類似しているのではないだろうか。平安時代と同じ場所で、同じ感覚で社会を眺めたとき、次なるパラダイムが見えてくるのかもしれません。
 このことにすでに気付いている人が参画し、村を形成していくことができれば、日本だけではなく世界にとってもすばらしい価値が創出されていく。歴史文化と自然とが融合するこの地が未来社会の発芽点となるのではないかと期待してやまない。

日時:2013年6月29日(土)・30日(日)11時〜18時 
主催:小倉山・嵯峨二尊院プロジェクト委員会
共催:株式会社 ゼロ・コーポレーション 
後援:京都市、京都商工会議所、京都新聞社
協力:京都観光文化事業創造塾

一目で分かる「華り宮 嵯峨二尊院」
一目で分かる「華り宮 嵯峨二尊院」
INTERVIEW 京都にふさわしい住まい方とは。 CONCEPT 景観に美しく溶け合う街づくり。
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